歴史の岐路の41回全国大会

 憲法9条を吟詠する唯一の詩吟の会、新興吟詠会41回全国大会が、728日京都聖護院で開催。中田進会長が、「参院選で改悪勢力を三分の二以下に押しとどめましたが、安倍政権が引き続き改憲を策動している中で、北海道、東京へと全国へとがった新興吟詠会の果たす役割が一層大切になっています。」と挨拶。

  園部道佳本部事務局長が、他の吟詠会にないこの1年の活動の教訓として3点を報告。

 憲法9条の吟詠が全国で待たれていて、「やっと出会へました。漢詩や短歌・俳句に節をつけ、日の丸、君が代に頭をたれることなく日本国憲法9条を詠える日が来た」

  1. 沖縄の事、震災・災害など、直ぐに作詩され、心一つに吟詠できる「長年探し求めていた民衆の心や平和を詠う新しい詩吟の会にであえて心から喜んでいます」など沢山の感想。

  2. 日本文化の根底を貫く漢詩文学、語られなかった歴史の真の流れが、「近江の歴史の漢詩」「夢幻の利名争うに足らん・西郷隆盛」「明治の憂鬱・夏目漱石」などの論文で分かった。

 

そして、今年度方針として、新しく師範部を設け吟詠の向上に努めること、さらに全国に広がっている機関誌「新興の友」を倍加し、若い人の中に会員を増やそうと提案。討議の後採択。新役員には、中田進会長始め21名が選出されました。

 

 昇段昇格試験では、35人が「主権在民」「母」「山中の月」「富士山」「沖縄」などの吟詠で挑戦しました。

 

 最後に「歴史の岐路の41回大会」「憲法9条を」を合吟しました。

 

 

 

 

 

万葉集にこめられた平和の願い

         (京都民報掲載・園部著)

「令和」の発案者・中西進国文学者

     「真珠の輝き憲法9条」

「令和」の発案者といわれる中西進国文学者は、日経で、和は先の大戦で310万人が殺され、平和をねがう意。国籍、漢籍とは誤解されやすい、万葉集は中国を排除していない。万葉集の形成者といわれる大伴家持は、藤原家が権力を握る中で、陥れられ、複雑な思い、屈服しない気構えが見て取られるか。真珠の輝きを持つ憲法9条と述べられています。

 

 京都民報「万葉集にこめられた平和の願い」

 万葉集への関心が高まる中、天皇、大王、各豪族間の権力を争う中で、平和への思いが込められた和歌集であることを、寄稿します。宜しく掲載の検討を願います。

 新興吟詠会本部事務局長 園部道香

 新元号が、万葉集の巻第五「梅花謌三二首并序」に述べられている漢字「令」と「和」からなっていますが、いま「万葉集」への関心が高まっているようです。

 万葉集四五一六首の短歌、反歌が、漢字の音詠み「万葉仮名」で、天皇から防人の歌まで載っており、一首一首に興味尽きないものがあります。

 

 そこには、始めて文字を手にした躍動感あふれるものがあります。

 また、万葉集が、何故編纂されたのかはまだ明らかになっていません。

 しかし、その時代背景や、詩歌の内容から、分かってくることもあります。

  豪族の権力争いと遷都の歴史

 始めての文字「万葉仮名」を持っていない時代、呼称としての天皇、大王、そして物部氏、蘇我氏、大伴氏などの豪族の争いが繰り返されているのが古代から飛鳥時代でした。そして、万葉集が、大伴家持により編纂されたと言われた時代は、藤原氏が台頭し始め、大伴氏が歴史の舞台から衰退してゆく時代でした。そして、この時代は、藤原氏が権力を握り、平安京に都を構えるまで、遷都を十数回繰り返えされています。

   和歌からみる願い

 奈良時代の七三〇年の正月十三日、家持の父・大伴旅人は、九州大宰府の邸宅で、梅見の宴を催しました。当時山桜はありましたが、短歌には詠まれていません。中国から渡来した梅の花は大変珍しく多くの人々が集いました。そこで詠われたのが「梅花謌三二首」です。この「序」には、漢詩の原点でもある中国の最古の詩集、「詩経」について述べ、そこには梅の花が詠われているが、共に梅を愛でて和歌を詠もうと記しています。

 大伴旅人は、梅が散る中「遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか」(巻五 八二二)。巻五の冒頭には、妻を亡くし「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(七九三)」と詠んでいます。

 万葉集に五六首の歌がある中、巻三には、十三首の酒を讃える歌があります。そこでは、「この人生、甲斐なきものにくよくよとらわれるよりは、一杯の濁り酒でも呑むほうがずっとましだ」(三三八)。

 もう都には帰れないと「我が盛りまたをちめやも ほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ」(三三一)。

 いつまで命があるか知れないと吉野、明日香への慕情を「我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため」(三三二)詠んでいます。

 旅人が九州にいる間、皇位継承の争いの中で長屋王の変があり、大伴氏の没落、藤原氏の隆盛が早まることになります。

 

旅人の子の家持が万葉集の編纂にかかわったとされ、四七三首の歌があります。中には、防人の歌と共に家持自身の防人に寄り添う歌「大王の 任(まけ)のまにまに 島守(さきもり)に 我が発ち来れば」(四四〇八)と、大王の命のままに家族と離れ、防人として任についたと思いきった詩情を詠んでいます。

 

 さらに、一族の長としての立場と迷い諦めの境地を詠ったとされる「うつせみは 数なき身なり 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな」(四四六八)

して、万葉集の最後によく吟詠もされる「新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事」と、極めてめでたい祝いの歌で締めくくっています。家持はこの歌の詩作を最後にしたとされています。

 七八五年六八歳で亡くなりますが、この年長岡京造営を進めていた藤原種継が暗殺され、家持が関与していたとされ官位を剥奪されてしまいます。

 

 万葉集の原本はなく、写本が見つかったのは平安中期とされています。

 家持が、大伴家が没落してゆく中、万葉集を「いやしけ吉事」と閉じているのは、視てきたように次のような深い詩意が込められていると考えます。 

 日本で最初の詩歌を編さんするに当たり、氏族の争いが絶えず、遷都を繰り返す中で、天皇から防人の歌まで編纂し、争いのない日本の安寧・平和を心底から願ったのだと思います。

 

 「中国の六朝詩学を導入し歌を創造した家持」(大伴家持と中国文学・鈴木道代・笠間書院)との研究もされています。

 漢詩詞文化が、菅原道真の「叙意一百韻」、和漢朗詠集、そして清少納言の枕草子、源氏物語や紫式部日記にあるように日本文化の根底を貫き、江戸時代には藩校、寺子屋、そして文化としても庶民へと広がり、夏目漱石へと受け継がれてゆきます。

 

 中国から渡来した漢字という文字の「音」詠みで最初の和歌を詠み編纂された万葉集への関心が一層寄せられんことを期するものです。

      朝ドラ「なつぞら」の

十勝・帯広に支部が結成

 

十勝帯広支部結成総会

    寄稿・山口久美子さん

  新興吟詠会十勝帯広の集い 20名ほどで無事終了しました。

 皆さんからのメッセージがたくさん届き、会場に掲示しました。これまでの経過を壁新聞風に作り、「新興の友」の記事もコピーし「40周年のつどい」プログラムも貼りました。平岩松籟先生の本や『友」「創作歌集」も机に並べました

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 「十勝帯広の会」金倉会長挨拶、来賓挨拶は日本詩吟学院とかち岳峯会 会長の川合岳濤先生、日本共産党十勝地区委員長の佐藤糸江さん、年金者組合と帯広音楽鑑賞協会の副会長若月玲子さんがしてくれました。箏の先生や新婦人の仲間、そしてとかち岳峯会の仲間が沢山きてくれ、賛助吟詠をして、花を添えてくれました。

 

 記念に筝曲「千鳥」を山口久美子が演奏しました。

 

 中田会長も京都から飛行機を乗り継ぎ、駆け付けてくれました。ご挨拶と会旗贈呈、会歌の指導をしていただき参加者全員で 吟じました。 会員4名(1人欠席のため)で富阪副会長が 創ってくださった「十勝帯広支部結成を慶ぶ」を合吟しました

 

 

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 書道吟「十勝にて新興吟詠会創立」(園部道佳)  

    書士 金倉会長  吟士 山口智也  箏伴奏 山口久美子

  会員吟詠 山口久美子 大阪支部 南埜知代さんがトムラウシ登山で作られ、今回送ってくれた「晩夏登蝦夷山」  青柳茂行  「失題」(横井小楠)  山口智也  「小諸なる古城のほとり」(島崎藤村)

 賛助吟詠 とかち岳峯会 水口露風さん  

  和歌 「 忍ぶれど」(平兼盛)

  とかち岳峯会女性合吟グループ7人(山口も入っています) 

 「松前城下の作」(長尾秋水)

 吟詠来賓 

  とかち岳峯会 川合岳濤先生 

  「祝賀の詞」(河野天籟) 箏伴奏 山口久美子

   新興吟詠会 中田 進会長 

   「十勝にて新興吟詠会創立」(園部道佳)

 謝吟 金倉俊嗣  和歌 「幾山河」 (若山牧水)

 

 全員合吟  「日本国憲法第9条 」

   素晴らしい吟詠が続き、とても良い会になりました。

  懇親会も和気あいあいと交流がすすみました。

 

(吟詠)歴史の創造

 

  歴史の創造

 

 

 北海道から沖縄まで、市民と野党の共闘は歴史を新たに創る取り組みで沖縄では勝利した。とりわけ大阪一二区の決断は、高い樹を見上げるような崇高な姿であった。

 

その根本(ねもと)は、清く大地深く、すじ道になんなんとしていた。

 

大樹の万緑は、みなが集まる道を自然と作り出している。

 

集まった人々の声は、日々輪を広げ、歴史を創りだす大きな流れとなっている。

 

 

 

【詩題】 歴史の創造(平起式四支韻)

 

挑灯 共闘 樹高姿

 

根帯 清深 地脈垂

 

万緑 不言 成自道

 

民声 輪広 歴史為

 

 

 

【詠み下し】歴史の創造

 

(ちょう)(とう)共闘 (じゅ)(こう)姿(すがた)

 

根帯(こんたい)(せい)(しん)にして 地脈(ちみゃく)(なんなん)とす

 

万緑(ばんりょく) (いわ)ざれど (おのず)から(みち)()

 

民声(みんせい) ()(ひろ) 歴史(つく)らん

 

 

 

【詩語】

 

挑灯(挑戦し火をともす)根帯(根本、物事の拠り所、土台)

 

垂(いまにもそうなろうとする)

 

転句は、司馬遷の『史記』の「李将軍列伝」に引用された「桃李不言 下自成蹊」による。すばらしい李将軍の下には自ずからみんながあつまる道ができる)

 

 

 

明治への回帰、憲法改悪許さず

維新の世を憂えた漱石(東京民報3月31日)

 

明治の憂鬱―漱石の漢詩から真を読むー

 

新興吟詠会本部事務局長 園部道佳

  

江戸の牛込馬場下の夏目家の五男として生まれた漱石は、「明治の歴史は即ち余の歴史である」(マードック先生の「日本歴史」)と述べ、海軍、陸軍が強大に、工業が発達した、とは思うが、「我らが過去を破壊しつつ,斃れるまで前進するのである。」そして「われらの未来を悲観している。」と、その後の日本の行く末を予感するが如く結んでいる。

  

「理想」への批判を顧みず

  

漱石は、文豪であるとともに、こよなく漢詩を好む人でもあった。「明暗」著述のなか―「己の漢詩は二〇世紀の詩としての位置を持つ。」と書簡に収め、執筆の最中、午後には漢詩創作をしていたことは、有名な話である。 

 

亡くなるまでの百日間に、七〇数首詩作している。大正五年一〇月七日には「白頭回らし来たれば笑語譁し」―世間にそっぽむけている自分ではある。しかし、世間を見ればがやがやとした雑音。しかし、自然は悠々として動いていると、「則天去私」の心情を詠んでいる。

 

すでに二八歳松山中学赴任の時にこうした志を詠っている。時は、恰も日清戦争に国中が涌いている時である。

 

「快刀切断す両頭の蛇 顧みず人間笑語譁きを」と、典故を引用し、理想は後人のために、いろんな両頭の蛇を葬り去りたい。批判を受けても顧慮しまいと、「人語笑語譁くとも」歩んでゆくと漢詩に認めている。

 

漱石研究家の吉川幸次郎先生は漱石詩注で、漱石の詩を「思索者」であり、「甚だ充実したものとした」と述べている。

  

詩経以来志を詠うことが、漢詩の原点です。

  

大正三年(一九一四年)には、「こころ」を新聞連載、「明治の精神」の終焉を執筆し、大正五年(一九一六年)九月一三日には、漢詩「無題」で「天下何ぞ狂える筆を投じて起ち人道有き身を挺んでて之く」と、世の中は何と狂っていることか、世の中には、歩むべき道があると志士の如き詩作している。

 

 また、日露戦争をへて、軍神が祀られる中、処女小説「吾輩は猫である」で「大和魂」を風諭、「三四郎」の中で、日露戦争に沸く日本の様を登場人物の広田先生が「日本は滅びるね」など一連の小説で、戦争に謳歌する日本の有り様の批判に表している。

 

 漱石は、「文明論集」(岩波文庫)で、明治維新の「開化」について、「急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにそのいう通りにしなければ立ちいかない有り様になった」と皮相上滑りの開花と批判的に述べている。

 

何が真かを思索し、漢詩の絶筆となった大五年十一月二〇日「無題」では、次のような詩を詠み生涯を閉じた。

 

「眞蹤は寂寞として杳として尋ねがたく虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す」

 

―真実の道はひっそりとして微かで、手の届かない遠い彼方にある。私は我欲利己心のない真実の道に達したいと、古今の書やその道を求め歩いてきた。―

 

 漱石は、明治の世の流れに決して迎合することなく漢詩、小説、論集には、一貫した明治の世を憂うる思索が貫かれている。

 

 いま明治一五〇年への慶祝が、改元と共に明治への回帰、憲法改悪と結んで強行されんとしている時、漢詩に詠まれた真実、維新政府を批判、また離れた高士からくみ取ることの大きな歴史的な意味があると思われる。

 

2019年、己亥の歳―激動の歳 

 歴史の大舞台ー879年、いまから還暦(60年に1回還る)の19回前の「己亥年」に、曹松が「1将功成りて万骨枯る」と詠みました。この典故を踏まえ、「1強勝なりて邦国滅びん」」と詠みました。

「大坂民主新報新年号」に掲載されています。

ぜひお読みください。



 

 

40周年記念構成吟詠をご覧ください。

 10の映像から、観たいところからも開けます。ご覧になりたい映像を見ることができます。 

 創立者平岩松籟師は、80歳の時に、関西文化吟詩文化協会の上級師範という、地位も名誉も投げ捨て、新しい憲法を詠う詩吟が必要と「挑戦」、そして、作詞者の責務として、いまの世を詠うことを挙げ、民衆の心を作詩し、齢95歳まで、その意思を貫徹されました。

まさに、菅原道真、西郷隆盛のように大義を貫いて

全国の新興の友が、あつまり、吟詠しています。開幕には、ひょうたん笛もあり、幕間には、日舞藤間英耶さんの藤むらさき、琵琶江川昇昴さんの平家物語那須与一も演じられ、素晴らしい日本文化に心を癒され、あすへの希望が湧いてきますよ。DVDがご入り用のかたは、申し込んでください。人生座右の文化として

いよいよ始まります。10の映像が「あります。日本でも希なひょうたん笛から、第1部創立者平岩松籟師の生涯、藤間英耶さんの日舞「藤むらさき」、そして第2部へと、民衆の心を詠います。 幕間には平家物語・那須与一の琵琶演奏があります。

第3部は、「日本の夜明けへ」、憲法9条を吟じます。

ご覧くださり、ありがとうございました。ぜひご感想、ご意見をお寄せください。己亥の歳にあたり、明るい平和な日本でこそ、和みのある家族、家庭があると思います。憲法9条を日本と北東アジアに輝かせんために、手を携えて参りましょう。

「40周年構成吟、大きく成功

 

40年の歴史の重み、伝統的な吟、新しい吟詠に

 

 

 

 11月25日メイシアターで行われた「40周年記念構成吟詠」は、会場溢れんばかりの方が参加されました。

 

 構成吟は、「月夜荒城の曲」で開会。30首の創作吟、「春望」など古典を含め37首の詩吟で綴られました。  

 

四〇年前に平岩松籟師が、新しい憲法を詠う吟詠をと挑戦し立ち上げられた新興吟詠会は、歴史の先駆けを創ってきた生い立ちをうたいました。

 

そして、菅原道真が讃岐で民衆の惨状を詠い、大宰府へ左遷されることとなった、民衆の心を吟詠。

 

 日本夜明けへ、命の続づく限り真の吟を詠い、憲法と共に生き、その大輪が開くように、詠い続けて参りましょうと詠いました。

 

 また、日舞「藤むらさき」、琵琶「平家物語那須与一」、瓢箪笛の出演もあり、北海道十勝からは、芭蕉「奥の細道」、「峠三吉」の朗吟もありました。

 

澄みきるような秋空の下、

   「東京支部結成宣言」

 

 

 【やっと会えました。漢詩や短歌・俳句に節をつけ、「民衆の心を」謳い、そして

 

愛を、反戦平和の願いをこめた吟魂のあなたに。日の丸や君が代に頭(こうべ)をたれることなく「日本国憲法九条」を詠える日が来ました。情に厚い江戸・東京の空の下で。

民主主義に背をむける政治の流れを押しとどめたい。その先に理想と希望があるのです。

全国の詩吟の仲間と共に、壮大な夢に向かって前進しましょう。

 ここに新興吟詠会東京支部誕生したことを高らかに宣言します。】

10月30日、亀戸での大会弐は、各地から駆け付けた、憲法の吟詠会を待ちわびた男女で会場は熱気にあふれていました。太極拳など催しのあとの吟詠には、富士山、峨眉山月、舟中子規を聞く、新涼読書、菊の香やなどの日頃練習重ねた吟詠が響きました。

 元広島カープ監督を兄にもつ方が、広島で原爆に遭い、友が皆無くなった心迫るお話をされたあと原爆行の魂の吟詠を披露されました。

  新幹線で駆付け、昼食の前に、河野百合恵都議の案内で、悲惨な左遷の憂き目にあった菅原道真を祀る亀戸大社へも足を運び、関東大震災で虐殺された20歳、22歳の青年の碑銘が刻まれた浄心寺では哀悼の意を表して献花。 

大会では新しい役員も決められ、毎月の吟詠の会の持ち方も発表されました。 

懇親会では、みんさんが「これからの人生で、今日、こんなに素晴らしい詩吟の会に合えてよかった」と交々語られ、清々しい心情で帰途につきました。

 

 

 

千波万波乗り越えてー

歴史的な第40回全国大会開催

憲法の魂を吟じてー祝40周年

創立者、平岩松籟師とご家族、機関誌「友」の創立当時の「吟友」の、懐かしい写真です。歴史の重みが感じれます。漢詩、吟詠「憲法の魂吟じて」は、平岩松籟師の芳名を詠みこんでいます。

 

千波、万波をのりこえ
新興吟詠会40周年記念、京都民報に掲載さる。40年前に、平岩松籟師が、80歳で決断した、「会」創立の志はなんと、すばらしい人生観がもとにあり、断固として、詩吟界へ、一石を投じ、いま大きく花を開き、歴史の中での真実を貫かんとしています。一度、お読みください。

沖縄勝利の詩を、みんなで吟じましょう

 

 

 

沖縄勝利の詩―二〇一八年九月沖縄知事選―

みんなで吟じましょう

 

 

 

  新興吟詠会本部事務局長  園部道佳

 

 

 

二〇一八年九月沖縄知事選は、過去最多の三九万票の民意を示す歴史にのこる勝利となった。エイサーの踊り、この勝利響け轟けと、国中で沖縄の歌が歌われている。

 

新基地許さじ、普天間即時返還の悲願は大きなうねりとなっている。

 

沖縄の歴史は万国の架け橋であり、平和こそ東アジアの国々との交流の拠り所である。

 

 

 

【詩題】沖縄勝利詩(平起式七言絶句五歌韻)

 

―二〇一八年九月沖縄知事選―

 

 

 

沖縄 勝利 響轟歌

 

基地 不容 悲願波

 

万国 津梁 聨歴史

 

交流 東亜 拠平和

 

 

 

 

 

【歌と詠み下し】

 

かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ

 

 

 

沖縄の勝利 響け轟け歌わん

 

基地 (ゆる)さじ 悲願の波

 

万国の(しん)(りょう) (つら)なる歴史

 

交流す東亜(とうあ) (よりどころ)は平和

 

 

 

我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ

 

核兵器禁止条約を締結する政府をつくろう

 

【漢詩集】核兵器禁止条約を締結する政府をつくろう

 

  七月七日、国連で核兵器禁止条約が採択され、作詞された漢詩集です。

  「被曝者の魂」では、祖父が広島の原爆で生きながらえ彷徨い歩いた状況を「地獄の焚焦祖父徉う」と、原爆許すなかれと詠んでいます。

  「核兵器のない世界」では、「被曝の呻民 壮挙の魂 国連での採択 鼎に昏を開かん」と核兵器に禁令が下ったと詠っています。

 

 「原発廃炉行動二五〇回」では、粘り強く運動を続け、いま「江湖を固守せん 福島を還せ」と近江での取り組みを詠っています。

  「須らく絶対悪を廃絶すべし」では、核兵器が違法と宣言されたことは、「人類の智嚢 于に大成」であるとしています。

「終に国連核兵器禁止条約採択」では、ニューヨークでの平和の取り組みに世界の人々と参加したことなどこの間一貫して廃絶へと運動をしてきたことから、「雲山より遂に聞く女神の笙」と、その感動を詠いました。

 

 「平和の一条―七二年目の夏」では、広島の空には平和の鳩が飛び舞う中、国連の会場には、日本政府の姿がなく、折鶴が置かれていたことを「涙痕の折鶴 決して飛動せん」と、核兵器禁止・廃絶へ意を決して世界へ飛び立ったと詠いました。

  私たちは、核兵器禁止条約を締結する日本政府をつくるため、革新の吟詠を轟かせんとしています。

 

   詩吟も文化も平和でこそ 

   新興吟詠会本部へ、ようこそ

新興吟詠会へようこそ。多彩な内容へ、上部の12個の窓からお入りください。構成吟詠は、すばらしいですよ。動画は、構成吟、会歌、「春望」、「高砂」祝賀吟詠を楽しめます。

最上部の12個の窓から、お入りください。楽しい内容、知的な喜び、構成吟詠のすばらしさ、充実した漢詩講座など漢詩への興味など、多彩な内容をゆっくりご覧ください。動画は、構成吟「個人尊厳守る、日本の夜明けへ」、会歌、「春望」、「高砂」、祝賀吟などいっぱい楽しいですよ。

10の窓口から、ご感想をお寄せください。よろしく